朽木祥さん トークセッション

暑く暑く長い夏がようやく終わり
秋はなんとなく短くていつの間にか冬の気配。
何食わぬ顔で、出てまいりました(誰も見てないかも)。


ジュンク堂トークセッションに参加してきました。
ブログの書き方をおもいだしつつ印象に残ったことなど少し。
朽木祥さん

http://www.junkudo.co.jp/view.jsp?VIEW=author&ARGS=%8B%80%96%D8%81%40%8F%CB

私が最初に読んだのは「彼岸花はきつねのかんざし」
端正な文章に、てっきり男の方だと思っておりました。
次に「引き出しの中の家」を読んでみると、この細やかさは男のひとじゃない…と。


実際の朽木さんは知的でやわらかな印象の女の方でした。
大学の先生をされている(いた?)せいか、ミニ公開講義といった雰囲気。
ニーチェをはじめあまり聞いたことのない人物や専門的な言葉もでてきたのですが
ところどころユーモアを交え、楽しいお話をしてくださいました。


「本はアート作品であってほしい」
朽木さんの本はどれもきれいです。
画家さんとの幸福な出会いがあって美しい本を作ることができてきた、とのこと。
外国に持っていくと、装丁のうつくしさ、きめこまやかさに驚かれるそうです。
確かに、最近は装丁家のかたがメディアにもでていて、その妥協しない仕事ぶりにびっくりします。


「風の靴」の創作過程にふれつつ『教養主義』ということについて。
「一冊の本は次の一冊への案内である」
朽木さんの作品には確かに注釈が多く、それが次の世界につながるように意識されているそうです。


「子どものこころを自由にするものを書きたい」
「ものさしは自分自身のなかにある」
「こころの自由がいちばん大事」
ご自身が被爆2世であることから、ものを自由にいえない世の中にだけは絶対にしたくないという気持ちがあり、それを伝えたいとのこと。


「文学にはさみしさが必要」
確かに朽木作品の登場人物は、さみしさを抱えるこども(ちいさいもの)たちなんですね。
そこからかれらが、新しい地平を見つける物語が展開されてゆくのですが。
朽木さんはアイルランド文学が専門だそうですが
「さみしさ」に関してはアイルランドの風物を交えてお話されました。


「何度も推敲をする」
わたしは朽木さんの文章を、日本語はうつくしいなあとうっとりしながら、かみしめるようにして読んでしまうのですが(なので仕事としては読めない)
「かはたれ」の序章などは何十回も推敲したとか。そうだろうなあ。
あと、小さいころに詩をたくさん覚えて暗唱したそうです(島崎藤村とか…だったかな?)。
そのことが美しい日本語をつむぎだせる秘密なんですね。


…こんな稚拙な文章を恥ずかしげもなく公開してるの、どうなんでしょう。と、急に思えてきました。


とにもかくにも、会いたい!とおもった作家さんのおはなしが聞けて嬉しかった。
来年の夏ごろに新著が出るかも(うまくいけば)、というお話だったので楽しみです。