TRCライブラリーアカデミー最終日に茗荷谷を歩いてみた

茗荷谷にはもう幾度も足を運んでいるけれど
いつも、駅⇔TRC本社の往復ばかり。
なにやら面白そうなところだとずっとおもっていたので
ここはひとつ。


最終課題で皆さんに調べていただいた資料を参考にしながら
茗荷谷駅界隈を探索してみました。
http://homepage3.nifty.com/zazen/myougadani.htm
このほかにもGoogleマップの茗荷谷駅周辺をプリントし、
東京23区の地図も購入(「でか字まっぷ東京23区」昭文社)。
準備は完璧です。
茗荷坂を歩きたい!縛られ地蔵を拝みたい!


一緒に受講したS女史とマダムYがつきあってくれた。
ありがたい。これで一人で道に迷わなくてすみます。


とはいえ最終講座の数時間前なのでほんの少し。ほんとうはこの10倍くらい見たいところがある。
こんなかんじで歩きました。


茗荷坂を下って滝沢馬琴のお墓深光寺
→ちょっと戻って縛られ地蔵林泉寺
→春日通りに出て播磨坂
→の、途中で右に入って「伝通院」幸田露伴宅跡


○茗荷坂はおもっていたより狭い。
○「深光寺」「林泉寺」はとてもこじんまりとしたお寺。林泉寺はうっかり通り過ぎた。
縛られ地蔵、確認。本日参加する受講生全員の修了を祈る。
○お地蔵さまを写真に撮ろうとするS女史とマダムY。ええっ撮るの?
 霊が写ったりしない?とびびるわたし。
 (写真提供:S女史)


○伝通院は徳川家ゆかりの人々のお墓がある。
http://www.denzuin.or.jp/
幸田露伴宅跡が、伝通院から善光寺にいたる善光寺坂の途中にあった。
 青木玉著 「小石川の家」の、あの家である。密かに興奮。

小石川の家

小石川の家

○家の前にあった巨木は、後で調べたところ椋の木だとわかった。
 葉の茂るころにもういちど見てみたい。
○「三百坂」などを通りつつ、ちまちまと茗荷谷駅の方へ戻る。
○このあたりで同行の二人が私以上の方向音痴であることが判明。地図買っといてよかった…。
○それにしても、坂ばかり。
 辻に立って見回せば、必ずどちらかは上り坂か下り坂である。
○ぼーと歩いていても、必ずお寺か学校にぶつかる。
○郊外の新興住宅地にはないような、昔ながらの趣のある住宅や小さな町工場が目につく。


茗荷谷●〜改めて調べてみる。
「もとは小日向村の畑であった。起立の年代は不明だが、代官所支配の町屋があった。
正徳三年(1713)から代官・町奉行両支配となる。
以前に茗荷畑だったことから、一体を茗荷谷と称しており、それを町名とした。
明治二年(1869)林泉寺門前とともに、小日向三軒町と合併される。
明治五年(1872)には分かれて、
金杉水道町飛地と旧野村藩戸田邸・七軒屋敷・十二軒屋などの武家地を併せ、
茗荷谷町の名前に戻る。」 『東京の地名由来辞典 竹内誠・編 東京堂出版


そのあと、昭和四十一年(1966)小日向に組み入れられて、ふたたび茗荷谷
町名はなくなった。
…ということのようですが、冥加稲荷が名を変えた、という説も寺社仏閣の多さに
納得できます。


それにしても、今回の課題はとうてい神頼みでクリアできるものではなかった。
まさに、急な坂道をゆるゆる登っていくようなそんな日々だったな、と
茗荷谷駅周辺の坂道を歩きつつ、早くも感慨にふけりそうになりました。
しかし。ここで油断してはならない。そこは3ヶ月間受講してきて学習しております。
また、そんな厳しさが心地よかったり(変?)


そんなわけで第6回講義のまとめは次回。